2009年7月24日金曜日

誰のためのソフトなのか?

巷で売っているパソコン用パッケージソフト。それはWindowsだったり、Officeだったり、それ以外の多種多様のソフトが売られている。昔、多くのソフトはユーザーに喜ばれて愛されていた。だから人気商品や期待感の高いソフトは発売当日に店頭に人がならぶぐらい。

ところが今では「もう、バージョンアップは止めて」とか「また、お金を取るの」とか、そんな声をよく聞くようになった。そんな私も同じように思っている。

私はこの状況に対してどこで歯車が狂ってきたのかと考える。

パッケージソフトも発売当初は長所もあるが、必ず短所があり、それを直すために改良を加えて新たに販売する。そのことにより、より多くの人に愛される。その繰り返しをしてきた。

その繰り返しの結果、次第に完成度が上がると大きな改良や機能追加の必要性がなくなる。しかし、パッケージソフトを開発をしているメーカーは売上をあげて食べていかないといけない。そこで新ジャンルのソフト開発を始めるが、それはそれでジャンルを超えると多くの壁が見えて思うように販売が伸びない。結局、稼ぎ柱になっているソフトに機能を追加して発売するしかなくなってくる。

しかし、追加機能にユーザーのニーズがないのだから押しつけ機能になってしまい、また操作も難しくなりユーザーが倦厭し始める。悪循環をすることになる。

最初の頃はユーザーも付き合うが、何度もあると嫌気が差し始める。最悪な状態に突入だ。

価値があればユーザーはお金を払うが、当然無駄なモノにはお金は払いたくもないし、パソコンのソフトの場合は使い方もマスターしないといけないので、そう毎年のバージョンアップなどは付き合いたくはない。パッケージ名に西暦が付き始めると、そのビジネスモデルは終わりだと考えなければいけない。

唯一、許されているのがウイルス対策ソフト。これはソフト本体にお金を払うわけではなく、ウイルスのパターンファイル更新のためにお金を払う。データにお金を払っている。

このあたり、パソコンのパッケージソフトもプログラム主体からデータ主体やサービス主体へと変わっても良いのではないかと思うのだが、どうだろうか。価値のあるデータを絶えず提供続けることができるか否か。そこに軸足を置くことを考える。そしてそれに見合った価格を付ける。実際に考え始めると簡単な事だと思う。そこに思考を停止してはいけない。私はWindowsやOfficeなどもそうしてもらいたい。せっかく商品名に付けていた西暦の呪縛を外したのだから、ビジネスモデルを変えていかないと名前負けをしてしまう。

ユーザー視点で価値を考える。単にそれで良いのではないだろうか。
きっとユーザー視点になっているとお金が動き始めるハズ。

あと若干の注意をひと言。「ソフト」を「政治」、「メーカー」を「政党」、「ユーザー」を「国民」などに置き換えて読まないで欲しい(笑)

撮影:LUMIX DMC-FX01

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