2009年8月26日水曜日

駆逐されるシステムエンジニアたち

コンピュータが研究開発されて世の中に出回り始めると、コンピュータが分かる人材が求められた。そのため教育機関などが人材育成を始めて世の中に送り出した。

ここまでは当たり前の流れ。教育を受けた、独学した人達がその持てる技術を使って仕事をする。ごくごく当然のこと。

問題はその後のこと。

就職後の新しい技術は社内研修や仕事を通して身につける。大手ハードメーカーが地域企業の社員に対して一生懸命に教育をしてくれた。また、そのために地域企業は大手メーカーの特約店などになる。これが一種の地域における企業のステータス。そして大手ハードメーカーからハードを卸してもらい販売して儲けていくのだ。

これは大手ハードメーカーにおけるビジネスモデル。このビジネスモデルに乗って地域企業は成長をしてきた。

しかし、西暦1999年ぐらいからこのビジネスモデルが崩壊し始めたのだ。ノストラダムスの予言ではないが、コンピュータ産業は新しい転機を迎えることとなる。

発端はインターネット。個人が持っている技術情報をインターネット上に発信して技術共有を始めた。これにより、コンピュータの技術が好きな人たちは、企業の枠を外れて情報を集めたり、また情報を昇華させることが出来はじめた。しかも、コンピュータ企業に勤めていなくても、それはできる。

それから10年近く経過すると、大手メーカーからの技術情報よりはインターネット上にある個人の技術情報の方が遙かに新鮮で戦略的な情報として蓄積された。

そして気がつくと、多くの大手メーカーはハードの卸屋さんに成り下がり、地域の企業から見た大手メーカーの特約店のステータスはどこに意味があるか分からなくなった。受身の教育システムは崩壊だ。

能動的に技術情報を共有できる人達が台頭して、受動的な人達は駆逐され始める。実際にこの現象は起きているのだ。

実は「俺はシステムエンジニアだぜ」と言っている人ほど危ない。この肩書きに固守する人ほど、業種が混在するインターネット上の情報共有のありがたみに気がついていない。まあ、お客さんに対して簡単に説明するために「私はシステムエンジニアです」と言うのはありだけど。

重要なのは、コンピュータのビジネスモデルは情報を軸に考えるのであって、モノの動き(卸)ではなかったこと。人々が本当に求めているのはその製品ではなく、その製品に付随した情報(サービスや文化)を求めていたことを。

私は人間の欲の根底には物欲ではなく情を欲していると考えている。あらゆる「情」がそこにはあるが、今はそれを軸に新しいビジネスモデルを考える面白い時期でもある。

実は崩壊や駆逐などは楽しいことなのだ。次の登るべき山が見え始めている状態なのだ。好きな事でお金が稼げるかも知れないチャンスの時と考えれば何ら問題はない。

早く自分の山を見つけて登り始めよう。

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