2010年7月23日金曜日

高齢化社会

先日は町内の回覧板に「この地区は3人に1人は高齢者です。地域で一番です」とか書いてあった。

だからかどうかは分からないが、私の住んでいる町内ではお亡くなりになる人が多い。だいたい月におひとりは亡くなられるのだが、気温が上がった今月は5人もお亡くなりになられた。今月は毎週葬式がある。

それに比べて「赤ちゃんが生まれました」は聞かない。若い人は仕事などを求めて町内に定着しない。いや、できないと言うべきか。だからだと思うが、目に見えて人が減っている。空き家も増える。

このまま10年、20年と経つとどうなるだろう。

あまり考えたくはないが、空き家がもっと増えると思う。また、相続人がいないところは行政が不動産を引き取って売却する。実際、正面の家は行政がもらって売却した。いまは駐車場になっている。

私は野鳥が好きで、時々は野鳥に関する本を図書館から借りて読む。その本の中には絶滅危惧種について述べている本もある。それには環境が変わって食べるものが現象したり、天敵となる生物が増えると絶滅の恐れがあると書いてある。

朱鷺などもそうだろう。環境変化に弱い雁も実は貴重な野鳥だ。

人間も同じで、食べるもの(仕事)が減少すると人口が減少していると思える。だから、それは自然の摂理かと思ったりする。そして、その過程で高齢化社会があると思う。これは地域だけの話ではないが、一足早く住んでいる町内が地域で一番だ。

さて、どうすればこの絶滅危惧種の状態から脱出できるのだろう。

食べ物が豊富なところに渡り鳥は集まる。人間も同じく鉱山などが栄えた時期はそこに人が集まったものだ。そして自然とその地域に子供が増える。野鳥と比較して良いのか迷うところだが、やはり私は食べ物(仕事)が一番だと思う。

だから、もし政治の課題に優先順位が付けることが可能であれば、「仕事を増やすこと」を一番にしたい。それは税金がそのまま給与になる仕組みではなく、田んぼに農薬を控えるように環境と価値観を変えていく思想や努力だと思う。

きっと大量消費時代のアプローチではなく、もっと自然に歩み寄る感じで、それは大量消費を前提とした「エコ」という言葉ではなく、生きものを大切にする心からのアプローチがいい。そこには大量消費を求めない。だから、いまの価値観である所得は下がるかも知れない。でも使うお金が減るとバランスはとれる。それを前提とした価値観だ。

既にある借金(国債)を返すためには増税が必要だと言われているが、私の考えでは消費を減らすことがメインとなる。だから消費税を増やしても意味がない。そればかりか、今までの増税をする発想だと大量消費の考えから脱却できないのではないだろうか。いつまでたってもイタチごっこだと思える気がする。

高齢化社会を受け、その中で何ができるのかを考える時代が既に来ていると思う。ある意味、日本人も絶滅危惧種と言えよう。だから他国を手本にするのではなく、手本になるような自らの考え方を作る作業が必要だと考える。それは数値化したデータを元に論理展開された内容だと思える。そして、それをゆっくりと実践していく。そんな社会はダメだろうか。

撮影:Canon EOS50D EF300mm F2.8L USM,EXTENDER EF2X

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